歴史とストーリー

page_about_pht004ワシントン州で最初のワイン用葡萄は、1825年にハドソンズ・ベイ・カンパニーによってフォート・バンクーバーに植えられました。入植者の移動に伴い、1910年までにはワイン用葡萄が州の大部分で栽培されるようになりました。初期の栽培は、フランス、ドイツ、イタリアからの移民によって行われました。

ワイン歴史家であるロン・アーバイン氏とウォルター・クロア博士の著書「The Wine Project」には、このフォート・バンクーバーでの植え付けから始まった葡萄の栽培への継続的な努力が記されています。1854年には早くも改良品種がピュージェット湾岸地域の苗木業者に仕入れられ、1860年にはワラワラ・ヴァレーでもワイン用葡萄が栽培されるようになりました。

1903 年にはカスケード山脈山頂の雪解け水を利用した大規模な灌漑事業が州東部で始まり、豊かな火山性土壌と日当たり良く、乾燥した気候という環境にも、葡萄栽培において秘めた可能性を目覚めさせました。イタリアとドイツの品種がヤキマ・ヴァレーとコロンビア・ヴァレーに植え付けられ、 20 世紀の初期にはワイン用葡萄の栽培面積は急激に拡大しました。

1910 年、初の毎年恒例となる「コロンビア・リバー・ヴァレー葡萄収穫祭」がケネウィックで開催されました。 1914 年にはヤキマ・ヴァレーにサニーサイドの W.B. ブリッジマンなどの素晴らしい葡萄園が誕生しました。

page_about_pht0051920 年に施行された禁酒法の影響で葡萄の生産は停滞しましたが、皮肉にもこれが自家製ワインへの興味を起こす引き金となったと考えられています。禁酒法が撤廃されると、米国北西部で初の政府認可を受けたワイナリーがピュージェット湾のストレッチ島に設立されました。 1938 年までにはワシントン州各地に 42 カ所のワイナリーが建造されました。

商業規模の葡萄栽培が始まったのは1960年代です。初期の生産者たちのその取り組みは、(のちに今日のコロンビア・ワイナリーやシャトー・サン・ミッシェルの先人となりますが)、ワイン歴史家のレオン・アダムス氏の目に留まります。

アダムスは、先駆的なワイン研究家であるアンドレ・チェリスチェフ氏をシャトー・サン・ミッシェルに紹介しました。チェリスチェフ氏はシャトー・サン・ミッシェルを成功に導き、ワシントン州に近代的なワイン製造方法を指導しました。その結果、1970年代半ばにはワシントン州のワイン産業は急速に成長し、今日の急成長にも匹敵するほどで、ほぼ15日おきに新しいワイナリーが誕生したのです。

数人の自家製ワインの醸造家と先見の明があった農業経営者らによって始まった高級ワイン製造の傾向は、今や30億ドルを超える有力な産業に発展しています。ワシントン州のワインは国内50州、世界40カ国以上で世界的に販売されています。ワシントン州は、プレミアムワイン米国第2位の生産量で、葡萄栽培面積は31,000エーカー(12,545ヘクタール)以上に及びます。

page_about_pht006ワシントン州での大きな発展として、1987年の合同マーケティング推進業界連合、ワシントン・ワイン協会(Washington Wine Commission)が設立され、1999年にワイン生産とラベル表記に関する業界基準を広める目的でワシントンワイン品質同盟(WWQA)を設立しました。リザーブ・ワインの基準を最初に規定したのは米国ではワシントン州が初めてでした。

2003年には、州補助金230万ドル(2年間)を称えて、ワシントン・ワイン・インスティチュートとその教育パートナーが、州の成長産業であるワイン産業を補助する目的で2年制と4年制の教育プログラムを開設しました。このプログラムは、成長するワイン産業に優れた人材を送り出しています。資格プログラムと教育、調査の継続により、高級ワインの生産地としての州の評価が高まっています。

無限の可能性を秘めたワシントン州のワイン。消費者によりその質の良さが認められるにつれ、国内外で需要が伸び続け、プレミアム葡萄栽培地域としてワシントン州のステータスは上がっていきます。新たな栽培地に新たな葡萄品種が植えつけられ、新しいワイナリーが驚くほどのペースで開設されているのです。

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